恋愛と哲学と青春の初体験、人生の基礎

三話目 自分のスピリチュアルな経験を少し話したいと思います。

両親は出かけていて兄弟はまだ学校に居る時間帯、小学校低学年だった私は、目の前の柱に架かった振り子時計の分針がいつの間にやらか気がつくとすぐに進んでいることに疑問を抱いていた。分針が動く様子を見てみたい。 

本当に純真にそう思って、分針を見つめていた。

しかし、ふと気がつくと、いつの間にか、進んでいるそのことに気づけない自分が居る、どうしてなのか?と絶対に分針が進む姿をみることができるはずだ、何故ならば、必ず分針は動いているはずだから、そうやって、一心不乱に分針を見つめていた。

すると突然分針が15分ぶんほどぐぐぐと動いた。

動いたことに自分もびっくりしたが、やっぱり動くんだと子供なりに納得した。

その日父が時計が15分ほど進んでいると言って、時計の蓋を開けて修正していたことを覚えている。私は父に私の目の前で、動いたんだよと告げたが、あまり相手にしてくれてなかったことも覚えている。

今思えば、たぶん念動力だったのだと思う。

子供はよくやってしまうのだそうだ。

 

もうひとつは、私の人生の基礎を形作った、幽体離脱の様な経験である。

大学一年生の時、下宿屋の二階の自室のベッドで確実に寝ていた。昼間だった。

突然ベッドに横になった私を取り囲むように、白衣を着た人たちが現れ、私を空中に浮かしながら、こう私に説明した。

「貴方の身体はもうこんなにボロボロになっているから、」と言われて浮いている私が、ベッドに横になっている私を眺めると、まるで古い家のように、雨どいが古くなって落ちているような姿が思い浮かんだ。

「上の方に新しい立派な身体と地位を用意してあるから、それと取り換えないか」と誘われた。私は古い元々の身体に執着があり未練があるものだから、泣きじゃくりながら、嫌だ止めてくれと叫んでいた。

「こんな罪だらけの私になんでそんなことをしてくれるの」と自分を卑下するような事を訴えると更にその白衣の人達の遥か上方に光りがあり、その光りに浮いている私が包まれるとその全てを許す慈悲に満ちた光りが私を慰めてくれた。

「貴方がそう生きてきたのも全て私の責任だからその罪を許す」と語ってくれたように感じた。大いなる母なる光りだった。

この経験から私は、生きる意味を学んだ。

次回死ぬときはこの光りに安心して飛び込めばいいんだ。なにも不安がることはない。と確信した。

幽体離脱も、この臨死体験に近い展開もその後文献を調べて初めて理解した。

予め知っていたうえでの経験ではない。

 

三話目も最後まで読んでいただきありがとうございました。