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恋愛と哲学と青春の初体験:そして三橋ゼミへ

私は、岸田秀さんに憧れて、和光大学に入学して、一緒に飲んで、龍太君と一緒に、世田谷のドーム状の屋根のある家に泊まらせてもらい、校内を歩いているところを雑誌の写真に載せられ、プロゼミは岸田ゼミで多くの友人を作った。「今度、フーコーと対談する」と言う彼に心底まいった。

私が今でも天才だと信じて止まない河西君に出会ったのは、柳田君が、この時間に家に帰るより、泊まれる友人の下宿先があるからと私を玉川学園前の彼のアパートメントに誘ってくれたからだ。その夜突然現れた私たちの宿泊を河西君はきっぱりと拒否した。

うなだれる柳田君が色んな理屈をつけて抗議するが、それに屈せず拒否する河西君の当たり前の主張に私が「彼の言っていることの方が正しい」と言って、柳田君は近くの実家に帰り、柿生駅まで小田急線の線路を歩いて帰ると外に出た私を、河西君は柳田君の犠牲者として私を引き留めた。

しかし私は歩きながら考えたいことがあるからと、玉川学園前から鶴川、柿生と電車の通らないだろう夜の二駅間、線路を歩いて帰った。

その時点で、私は河西君に惚れてしまっていたのだと思う。

あれほど明確に自己主張する人はこれまで見たことがなかったから。

河西君は三橋プロゼミの人で、三橋ゼミの構成メンバーのほとんどが、学費値上げに反対する新聞部、生活研の組織のメンバーだった。

三橋修さんも強面の人だった。

岸田さんと言う時の人がいるのに、どうしてわざわざ、あんなごっつい人達が先輩になる三橋プロゼミを選んでいるのか不思議に思った。

大学一年生でも本格的なゼミに参加することができる和光大学なので、私は速攻、三橋ゼミに顔を出した。

あの怖げな先輩達がどんなキレキッレの論議をしているのかと、戦々恐々で参加したのだが、なんだかもたもたよちよちと会話を積み重ねていた。

他のゼミに顔を出したことがあまりないので、比較はできないのだが、これが三橋流なのだと思う。

どんな意見でもその語りを尊重し決しておざなりにしない。丁寧に展開してゆく。本当にたまにだが、議論がもつれた場合に三橋さんがその絡み合った糸をほぐしてくれる、上手く補足してくれると言う安心感からか、学生たちはまだ思考から思想にまで形をなさない実感をぼそぼそと吐露できていたのだと思う。

河西君は三橋さんを香具師だと言った。

ものを考えるとは何か、どうするのかを教えてくれた、この三橋流は私にとって一生涯の宝物になりました。

当時講師で現象学を教えてくれていた、粉川哲夫さんから教えてもらったのだろう「リゾームドゥルーズ=ガタリ千のプラトーの序文)の長細い本をこれどう思う?と河西君が現物を私に示した。

「エピステーメの別冊だからもうあまり売ってないんだけど、買ったら」とコレクターらしい視点を踏まえて彼が推薦する。

 

そして三橋ゼミへ編 最後までお読みいただきありがとうございます。

やっと「リゾーム」が出現しました。