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恋愛と哲学と青春の初体験:死生観

兄の死の続きに、最近まで、私のテーマだった死生観について書いてみたい。

学生依頼。私には癖になった思考方法があって、何かの大きなテーマを決めてそのテーマに沿って謎を自分にとっての疑問を埋めて行くことにしている。

まずはじめはリアリティーだった。現実とは何なのか?そのころ私は、現実がリアルではなくて、なんだか一枚ベールがかかったように、生の感覚ではなかった。

今思えば、ぷー太郎生活が長くて、昼夜逆転していただけなのかもしれない。

バーチャルリアリチィーなどが出てきて、私の発言が世間に理解しやすくなったので、次は、究極のリアリチィーとは何だろうと考えたときに、死が浮かんできた。

生きとし生けるもの全てに平等に与えられる経験、しかも、予測できるが、決して避けることはできない現実それが死だ。

当時特別養護老人ホームで働き始め、最初にぶつかるのが、利用者入居者の死だ。

どんなに一生懸命がんばって働きかけても、最終的には死をもってお別れするしかない。一般的に、介護労働は夜勤や排せつ介助、入浴介助で、肉体労働だと思われがちだが、実は死をいかに捉えるかという命題を常に突きつけられる精神労働なのだ。

その証拠にケアする側のケアが足らず、精神疾患にかかる率が高いのが数字で示されてている。しかし、私は短絡的に、心療内科にかかりなさいという政府の方針には賛成できない。自分自身で自分の生身の感覚で死を捉えることができる介護ケアという特権にあるのならば、それを十分に自分のものにして死を乗り越えなくてはならないと考える。

中央競馬 馬主(うまぬし)社会福祉財団が主催する。海外研修と言うのがある。

海外で研修するためにのお金を財団が出してくれるというのだ。

特養で働き始めて2年か3年でこの募集項目を見つけて、募集させてくれないかとその時の施設長、今の理事長に頼んだが、募集条件の5年以上の実務経験に満たなかったため諦めざるをえなかった。

1997年度の募集に応募することにした。

その前にスエーデンで看護師として働いていたホルムズ桂子さんの講演で、北欧では終末期になっても日本みたいに、点滴漬けには決してしないとの発言があり、どうしてそうなのか?実際に行ってその死生観の違いを確かめてみたいと思うところもあったからだ。

現在でもこの海外研修は規模を縮小しながらも継続してくれているようだ。

第一次選考は出願動機と自己紹介を文書にして提出。これが全国から集められ、選考にかけられる。二次選考は書類審査を通過したものが全国から50-60名ほど東京に集められ、英語の試験を受ける。英文解釈、英作文、ヒヤリング、そして最後に英語での口頭試問。最後に実際に行くメンバーが5-6人選考されまた東京に集められ二日間缶詰にされ、英語で研修での注意事項などの授業、訓練を受ける。

私以外のメンバーは渡航経験の多い人や帰国子女だった。セサミストリートを何パーセント理解できるかの質問に、私は約50%と答えたが、ほかの人は80%以上と答えた。

私は英語がペラペラしゃべれるのではない。私は簡単な英語に置き換えて自分の考えを説明できるだけだ。これは嫉妬からかもしれないが、重要なのは中身だと今でも思っている。

高校時代英会話部なんてふざけた部を立ち上げ、最寄りの駅の周辺で欧米人を捕まえては英語で話しかけていた辻という友達がいてわたしもそれに参加して遊んでいた。

だから、自分の英語で一生懸命に伝える快感を知っていた。彼は大阪教育大学に入って現在は、数か国語を操って創価大学の教授をしている。

 

今日はここまで、海外研修の内容は次回にまわします。

最後までお読みいただきありがとうございました。