恋愛と哲学と青春の初体験:海外研修

今回は海外研修で学んだ北欧の生活を描いてみたい。

私の海外研修のレポートの書き出しはこうだ。

「1997年4月5日から7月22日まで旅を共にした「地球の歩き方」27北欧(ダイヤモンド社)の表紙にこうある

「氷河を越え、群島を縫い、湖を渡ろう、太古から変わらない自然のひろがる、サンタさんとヴァイキングのふるさと、極光(オーロラ)きらめく水と緑の国々へ」と、

3か月半前はいざしらず、今、こうして読み返してみると、ひとつひとつの言葉が痛いほどのイメージを持ち、目の前に展開する。

「いちご物語」(大島弓子著)のラップランド、ヴァイキングのルーン文字、古ノルド語「神の牧場」=オスロー。

すでにファンタジーの世界で体験していたそれらの事柄が、生きた現実として、私の身の周りに存在していた。」

176万円財団より研修費をもらい、自己資金11万円を合わせてデンマークスウェーデンフィンランドをまわった。

最初の二週間はデンマークコヘンハーゲンでの集団研修。あとの3か月は個人で計画した、個人研修だった。私にははじめての海外であり、全くの独りぼっちだった。

おもちゃのヌンチャクを持って行って、空港で止められたり、貸してもらった自転車のサドルが高すぎて、乗ったはいいものの、ペダルに脚が届かず、職員に笑われたり、海外での桜に興奮したり、ほぼ白夜のため、24時前後に現れる月に感動したり、そんなエピソードは横において、結論から言うと、死生観の違いその根本原因をつきとめることは出来なかった。

フィンランドツルクのチャプランであるレッパレンは私が死に関心があると説明すると、葬儀や骨壺、葬儀で着用する衣装やその意味、複数の墓場まで案内してくれた。しかし、私が死を受け止める違いを知りたいと説明しても誰も理解してくれなかった。

彼の親類の墓には墓石がなかった。

スウェーデン、では国の運営するコンピューター検索の施設に案内してもらい、点滴をウィンドウズ95で調べたが、ほとんどヒットしなかった。半日いても私の英語力では検索できなかった。

スェーデンで親しくなったターミナルケアをしている訪問看護のおばちゃんたちに点滴をしている病院を見せてほしいと言っても、わからないと言われた。ドア越しに一件だけ点滴の姿を見たことがあるが、緊急時の対応だったのかもしれない。

同じスェーデンでは牛の解体を見せてもらった。

脂で切れなくなるのか何本ものナイフをとっかえひっかえしながら、部位に分けていた。

彼らは狩りにも出かけていて、猟銃や猟犬も飼っていた。

北欧はキリスト教の影響がそれほどつよくはないらしい。自分たちは無宗教だと平気で語っていた。

私は死生観の違いを文化の根底の神話か何かに見いだせるのではないかと考えたが、如何せん、そこまで深く掘れるほど文化に語学に長けているわけではなく、あきらめた。

今更ながら思うには、神との契約ではないけども、やはり現在の生き方暮らし方そのものの、徹底した個人重視がその根底にあるのかもしれない。死を自分自身のものとして受け入れることを社会が共有しているのだ。

始めの二週間の共同研修の中で、デンマークの幼児施設を訪ねたことがあった。

「意思表示をちゃんとできる子供に、他とも関わりを持ちつつ、自立した子供に」が私達の保育の目標ですと語られた。

朝幼児たちが円座になって、その日一日の自分の予定を発表する。その内容に、周りの幼児たちが賛否を交えて議論し、自己責任の範囲で行える予定に修正するらしい。

なんと素晴らしい、なんと厳しい自己表出のくんれんだろうか。

だから、彼らは、日本人は判断ができないおこちゃまだと揶揄する。

そのおこちゃまでさえ、通いの施設でそこまで、自己を説明する訓練を受けている。

コンビニ弁当はない。夫が食事を作ることも珍しくはない。

そう言った下地と民主主義的な政治運営があって、自己の死を医療従事者にゆだねることなく、自分で引き受けることができているんじゃないだろうかと思う。

 

今回はここまで、次回は哲学の考えを記載出来たらと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。