恋愛と哲学と青春の初体験:衛生問題社

河西君の言ったとうり、大学生協の書籍売り場にもなく、さんざん探し回って、町田の本屋さんで、「リゾーム」を手に入れた。

「このひょうはくに書き込まれている万年筆の落書きの様な線が気になるんだ」と河西君は言った。

魅力的な詩の様な、ラグビーの試合経過を綴っているような文章が続くそれは、私にはとても理解不能で、哲学書には思えなかった。その頃の、フランスのポストモダンをまとめて解説してくれた浅田彰さんの「構造と力」を読んで、そういう事なのかと日本語の自分に落とし込んだ。しかし、粉川哲夫さんはその本を紹介しつつ批判した。

友人たちの間で、「逃走の線」が流行りになった。

河西君が「n-1」と言うのがわからないけど、「笠松はどう思う」と聞くので、あっているかかどうかわからないけど、縦横16ピースのナンバーを描いたパズルがあって、16の内のひとつを空白にすることで、バラバラの数字を動かして様々な順序に並べ替え、組み換えることができる。そんな仕組みを「n-1」と言っているんじゃないかなと答えた。

私は、「器官なき身体」ってでてくるけど、そんなものあるのか?と問いかけると、河西君は、「うまく説明できないけどなんとなくわかる」と答えたことを覚えている。

ドゥルーズ=ガタリのアンチオイディプスに関しては、facebookにも書かせてもらったが、松岡正剛さんの千夜千冊のアンチオイディプスの項目を参照にその雰囲気を味わってもらうのが、てっとり早いと思う。

最近、上野俊哉君のガタリの思想を描いたと言う本が河出書房新社から出た。「四つのエコロジー:フェリックス、ガタリの思想」も面白いかもしれない。

河西君と私が上記の会話をしていたころには、さすが、もう一人の同世代和光の天才上野君はあっさりと速攻理解していたように思う。

当時、私は複数の読書会や集まりに参加していた。はじめは、岸田プロゼミのメンバーで龍太が主宰で集まった「標点の会」だった。

学費値上げに反対する大学への公開質問状を作るのに、夕方からかかって、深夜まで、寄って集って、文章を作成した覚えがある。そのころから、伝統的に私たちは教授の研究室の鍵をコピーして勝手に使っていた。この公開質問状作成で学んだことは、文章は誰か一人が下書きをつくるか、徹頭徹尾、一人で書くのがいいと、へてへとになって学んだ。

上野君はいっこしたなので、翌年に無理やり構成メンバーになってもらったのをおぼえてる。河西君も晃久もこのころは仲間だったと思う。

タイトルの衛生問題社がまだ出てきていない。がいったん終わりにします。

最後までお読みいただきありがとうございました。